不思議な3年間皆勤賞

どこもかしこも稲刈りや秋祭りが終わり、
冬に向かって、気温が下がり始めるこのタイミング。
 
例年の定番のイベントがある。
そう、芋煮会だ。 
 
 
とてもとても不思議なことだが、
今我が家がお世話になっているわけではない
地区から参加のお誘いが掛かる。
 
そう、早いものでも3回目だ。
 
そこの区長さんからは、ぜひ家族揃って、
とのことだったけども娘の体調のこともあり、
一人で参加。
 
こうして毎回呼ばれて律儀に参加するのも、
実は、芋煮も御飯もめちゃウマだからだったりする(^^;

 
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「今日は何時から煮込み始めたんですか??」
と聞いてみるも、スタートは10時からだったのだという。
 
そりゃ、よく味もしみて、芋も大根も柔らかいわけだ!! 
もちろん、卵も良い感じだ。
 

残念ながら、準備の様子は目の当たりにはできないわけだけど、
さぞかし、ワイワイ言いながら芋の皮を剥いたり、
味付けをされたのだと思う。
 
どこでも地区単位で食事をするということはあるだろうけど、
その食事を作るところから揃ってやるという行事は、
今となっては多くはないだろう。
 
そういう意味では、芋煮会は貴重な行事。
 
きっと地区によって味の個性も随分違うのだろう。
 
 
あっという間に鍋の中身もお酒も減っていく。。。

 
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例年、ここの地区では、芋煮会の終盤には、
アツいおじさん達が、自分たちのムラの将来がどうなっていくのか、
という熱い議論が交わされる。
 
実は、その話を横から質問を入れてみたり、
ひたすら頷いてみたりして聞かせてもらうのが楽しみだったりする。
 

このとき話がでたのは、地区の行事のこと。
何を残して、何をやめていくべきか・・・。

そんな話になると役員世代の人たちとその一回り若い世代では
早速に意見がぶつかる。
 
そこで、次の話の展開は、
個別の行事はいったい何のために行われているのか
ということを世代間で確認をしていった。


結局、時間が遅くなっていたので最後まで見届けることが
できなかったんだけども、ああいうやり取りが行われる
こと自体がやはり大切なのだろうな~、と思う。 
 
何事も続けていけるならそれにこしたことはないが、
いずれにせよ続けるのか、続けないのかという
判断をすることは重要なのだろう。

 
来年もお声がかかるかどうかわからないけど、
もし、まだあの美味しい芋煮が引き継がれていくのであれば、
ぜひ呼ばれてみたいと思う。

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# by yondarikaitari | 2017-10-28 23:00 | 日記 | Comments(0)

日々の営みの中には、
お金になる活動(仕事)、
お金にならない活動(家事、地域での役割)、
など一言では言い表せない色々な活動がある。
 
 
上に挙げたいずれにおいても、
別の見方をすれば
①古くからあるもの(こと)をそのまま維持し続けようとする活動。
②古くからあるものだけど、時代に合わせて変化させていく活動。
③今までには無く、新たに自分たちで作り出していく活動。
いずれかに区別することができると考えている。
 
最近においては、
個人的のその3つがバランスよく保たれて
活動できているような気がしている。

なので、精神衛生上の観点でも健全に過ごせている気がする。
 
なぜ、その3つのバランスと精神衛生が関係あるのか・・・?

もし、今自分自身の関わっている活動が
全て①に区別できるようなことだとしたら、
そうとうにしんどい。
維持することも大変だが、そこには関わる人の
個性というものが発揮しにくいからだ。

また、全て②に区別できるようなことだとしても、
常に周りの環境やそのときの時流を気にして
ときにはビクビクしなければならない。
それはそれで疲れる。
 
そして、全て③に区別できるようなことだとしたら、
常に全力、フル回転で走らなければならず、
きっと息切ればかりで長続きしない。。。
 
 
やはりバランスが大切なのだろうなぁ、と改めて思う。
 
 
極力変えずに取り組みたいと思うことがあるからこそ、
そこに抵抗となる時流の変化に敏感になれる。
時流の変化に敏感になるから
どこをどのように変えていこうか、
という思考、問いを持つことができる。
そして、その2つがあるからこそ、
新しいことに取り組むべき方向性が見えてくる。
 

きっとこの3つの活動は、
誰にとっても重要な3つの柱となる。
 

そもそも、日々の活動を漫然と取り組むのではなく、
今の目の前にあることは、①、②、③のどれに
当てはまるのか・・・?
 
その問いを持ち続けること自体が精神衛生を保つ
最初の一歩なのかもしれない。

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# by yondarikaitari | 2017-10-27 23:48 | 地域づくり | Comments(0)

日々の生活の中で、本を読んだり、
人の話を聞いたり、
ネット記事を見かけたりして、
「そういう考え方って大切だよな。。。」
と気づかされることはたびたびある。
 
食べ物を残すべきではない、とか
感謝の気持ちを言葉に出して人とは接しよう、とかとか。
 
 
それ以外に、
何事にも「あたりまえ」という気持ちを持たずに過ごそう、
なんていうのもある。
 
もちろん言葉の意味とは分かっているし、
腹落ちして実践しようとはしている。
 
でも、そういった心を持っていると“思い込んで”いること
自体が危うさにつながるのかもしれない、そんなことを
改めて思う。
 
ーーー
 
今日は、地域の方々とともに、西宮市の某所まで遠征。
車で乗り合わせての移動だった。
 
帰路での走行中の出来事。
走行するのは、対面走行の有料道路。
双方向でそこそこの通行量はあるものの、
渋滞するほどではない、ストレスなく
走行できていた。

そんな中、緩やかな右方向のコーナーの途中で、
対面で向かってくるトラックから、積載していた
荷物らしきものが吹っ飛んできた。
 
対面のトラックからみれば、そこは左方向のコーナー。
遠心力に負けた積載物が外側を走る車線、つまり、
こちら側の車線に飛びだしたのだろう。

積載物がこちらに向かって来るのが見えた瞬間、
身体が強張るのを感じて、声すら出なかった。
 
後から考えたら、意外と悲鳴って簡単に出ないことを
再確認したわけだけど、その瞬間は、やはり、
もうダメかも、って思った。
 
 
幸い、その積載物は、こちらの車の目の前で
バウンドし、砕けてからこちらに衝突し、結果、
フロントバンパーを破損させるだけで済んだ。
 
そのまま、いったん停車でき、けが人もなかった。。。
 
 
結局は、事なきを得たわけだけど、
もしアレが土の塊ではなく、石材や木材、
または、金属の塊だったら・・・・??

そう考えたら、しばらくは心臓の高鳴りは
収まらなかった。 
 
 
 
一日いちにちを大切にしなければならない。
健康で働けることに感謝しなければならない。
 
本当にその言葉の意味が分かっているだろうか?

ありふれた言葉ゆえに、今一度、心に深く
問いかける必要がある。
 

世の中に“あたりまえ”なんて無い。 
あー、生きて帰れてよかった!!

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# by yondarikaitari | 2017-10-26 23:10 | 日記 | Comments(0)

朝来市で言う、地域おこし協力隊というのは、
市の嘱託職員である。
 
そうなると、何かにつけて、サラリーマン時代には
経験できなかったようなことをする場面がでてくる。
 
今日もその一つ。
選挙事務。

  
本来、市議会選挙のみが予定されていたはずが、
そこに衆議院選挙が乗っかってきたことによって、
人手が一気に不足する事態になったのだろう。
比較的直前になって動員の要請がかかった。 
 
 
今までなら、選挙と言えば、のほほんとはがきを
もっていって、ものの数分で投票して立ち去る、
というものだと思っていたが、12時間以上も
そこにとどまり続けて、同じ言葉をひたすら
繰り返しながら投票用紙を配り続ける・・・。
まさに非日常だ。
 
台風の影響もあり、期日前投票が多かったのか、
担当の投票所に来られた投票者は想定よりも少なかったが、
数百人単位の人の流れを見たことになる。

丁寧にあいさつをして、
こちらの説明を聞き逃すまいと注意を払ってくれる人、
目も合わせず、説明の途中で記載台に向かう人、
熟考し投票用紙に鉛筆を走らせる人、
せかせかと書き終えて、投票箱の底まで用紙が落ちること
確認する間もなく立ち去る人。
 
本当にまちまちだ。
 
この日のために事前にいろいろ調べた人もいるだろう。
台風の進路が気になって選挙どころではないと
思っている人もいるだろう。


そんな様子を見ていると、今まで思っていた以上に、
人には“個性”というものがあることが分かったかもしれない。
  

自分が普通だと思ってきた振る舞いは、実は普通では
ないのかもしれない。 
 
投票という行為一つとってもいろいろなのだから、
日常のあれこれに個性がでないわけがない。
 
日々のことを客観視する、人と自分を比べてみるには
良い機会になったのかもしれない。
 
 
ただ、例外的に、夫婦で来られた人を見ていたら、
仕草や雰囲気(服装)が似ている。

夫婦というものはやはり似るものらしい。
これも一つの発見。
 

人生で最初で最後(?)の選挙事務、退屈する暇はなかった。

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# by yondarikaitari | 2017-10-22 23:16 | 日記 | Comments(0)

これは個人的な考えで、もしかしたら、

読む人によっては反論あるかもしれないけど、

そんなときはスルーしてもらえたらありがたいです。

 

 

今までの経験上、人生で起こるあらゆることに

何らかの意味があると思っている。

 

必ずしもその場でその“意味”が分かるわけでもなく

後々になって気づけるのかもしれないし、

単に現状の科学の理解の範疇では説明がつかないだけで

その後に理論的に説明できる日がくるだけのことなのかもしれない。 

 

だから日常では混乱する出来事がたくさんあるし、

一喜一憂で感情が揺さぶられることが日常茶飯事であるのだと思う。

 

 

 

もしかしたら、約三年半前にあったある出来事も今となったら意味があると言える。 

 

 

さらにその半年ぐらい前から変調は目に見えていて、帰省のときに

「あれ? 夏バテ? なんか瘦せてない?」

「なんだか食欲がなくて。」

なんてやり取りをしたのを覚えている。

 

 

結局、その後間もなく、かつての病気の取り残しが

とある部位に転移していたことが発覚し、

家族の雰囲気をガラリと変えてしまうことになる。 

 

 

その次にゆっくり時間が取れたのは年末年始ということもあって、

帰省の間中、母の横にいては、むくんだ脚をマッサージしたり、

かろうじて喉を通るものを口に込んだりしながら

「なぜこんな目に遭わないといけないのだろうか・・・」

ということをひたすら考えていた。

 

 

今思えば、その帰省中は、それまでの人生では考えられないくらいに、

身体を触れ合い、感謝の言葉を掛け合い、同じ家族であることを喜んだ。

 

結局、そんな数日後には他界してしまったわけで、

文字通り大きな喪失感がしばらく残った。

 

 

癌という病気がなぜ母親を蝕んだのかは未だにわからないけど、

一方で、癌だったからこそ “残された時間”の予想ができたし、

その時間をどう過ごすかを考えまくることができた、と思っている。

もし、これが交通事故だったら、お互いの想いを伝えることもなく

別れることになっていただろう。

 

 

結論、もし、この病気に存在の意味があるとすれば、

“残された時間”がはっきりすることから、

その時間にいろんなやり残したことを清算できるということ。

家族がいれば、否が応でもその関係を改善する機会になるということ。

 

 

日々のなかで当たり前だと思っていることが、

実はそうではなくなる時というのは思わぬところからやってくるわけで、

後でバタバタすることないように大切に今を生きないといけないのだろう、

なんてことを久しぶりに考えた。


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# by yondarikaitari | 2017-06-27 00:59 | とりとめのないこと | Comments(0)